
MIZENは、日本の伝統技術で次世代のラグジュアリーを創造しようと2022年4月に開始したプロジェクトです。
MIZENプロジェクト
https://mizenproject.co.jp/
このMIZENのチーフデザイナーを務める寺西モリーさん(以下「モリーさん」)は、台湾で生まれ、台湾のShih Chien University を卒業した後、イタリアのミラノに留学し、卒業後はミラノやパリのブランドで勤務し、その後夫である寺西俊輔さんと共に日本でMIZENを立ち上げ、ファッションの世界で軽やかに活躍を続けておられます。今回、モリーさんがファッション業界を目指したきっかけや、モリーさんから見た日本の職人技の魅力などをうかがいました。

Q モリーさんは子供の頃からファッションに興味があったのですか?
A はい、父や伯母がファッション業界の仕事をしていたので、私にとってファッションは小さいときからとても身近なものでした。台湾の小学校は、週2回、私服で登校する日があるのですが、私は、いつもどんな格好をしようか考えてわくわくし、周りの人たちも「今日はモリーどんな格好かな」と楽しみにしてくれていました。幼い頃は画家になりたいと思っていましたが、15歳で進路を考えたとき、ファッションの世界に進もうと決め、大学のファッション科に進みました。
Q 大学を卒業後、すぐにミラノに留学したのですか。
A いいえ。いったん台湾のデザイン会社に就職したのですが、ハイブランドへの興味が抑えきれませんでした。そのため、仕事から帰ったら寝る時間を削って自分の作品のポートフォリオ作りをしていたところ、台湾の紡拓会(Taiwan Textile Federation)からお声がけをいただきファッションショーをすることができました。これが後にニュースなどのメディアにも取り上げられ、当時の上司の目にも留まりました。その経験を通して、「やると決めたことは必ずやり遂げる」という 自分自身の覚悟をあらためて確認することができ、それがミラノ留学へと踏み出す大きな後押しとなりました。
留学した当時はイタリアでは台湾は全く知られていなくて、「台湾?ああ、タイね」と間違われるくらいでした。私はいつも自分が台湾を背負っているつもりで気合いを入れて頑張りました。
Q 夫の寺西俊輔さんとはミラノで知り合ったのですよね?
A はい。留学した学校の修士課程を修了し、同期の卒業生十数人と教会前の広場でお酒を飲みながら卒業祝いをしていたとき、俊輔の友人が私の友人に声をかけたことがきっかけで、知り合いました。
もっとも、今は笑い話になっているのですが、正直なところ俊輔の第一印象はあまり良くありませんでした(笑)。今となっては、あの夜の偶然の出会いは、とても大切で、かけがえのない思い出になっています。
Q 卒業後はどんなお仕事をしたのですか?
最初は、カシミヤニットを中心としたブランドで勤務しました。約2年間働く中で、次第により規模の大きな High Fashion の分野で挑戦したいという思いが強くなっていきました。一方、俊輔は当時メンズを主とするブランドでパタンナー兼デザイナーとして働いており、同時にウィメンズデザインにも挑戦したいという強い意欲を持っていました。そこで私たちは、二人でウィメンズのコートをデザイン・制作し、ポートフォリオをまとめ、本格的に転職活動を始めました。俊輔が面接の機会を得たことをきっかけに、私たちが共に制作した作品をデザイナーに見ていただく機会が生まれ、最終的に二人そろってイタリアのラグジュアリーブランド AGNONA で働くことになりました。
当時、Saint Laurent のデザイナーを務めた Stefano Pilati がAGNONA(ZEGNA グループ)のクリエイティブ・ディレクターでした。俊輔はミラノで 3D デザインを担当し、私は Stefano のアシスタントとして働きました。Stefano がベルリンを拠点としていたため、私は、毎週月曜日にミラノからベルリンへ移動し金曜日に再びミラノへ戻るという生活を、約2年半にわたって続けました。
Stefano は非常に厳しいクリエイティブ・ディレクターでしたが、素材やスタイリングに対する知識は極めて深く、そのもとで過ごした時間は、私にとって毎日が刺激に満ちた非常に実り多い学びの期間となりました。AGNONA はもともと高級カシミヤ素材で知られる生地メーカーなので、その中で最高品質のウール素材に触れることができた経験は、今の私にとっても非常に大切な糧となっています。

Q そのあと、パリに移ったのですね?
A はい。イタリアとは異なるテイストを経験したいと考えたためです。俊輔がエルメスへの入社が決まったことをきっかけに、私たちは一緒にパリへ渡りました。私自身もCarvenやShiatzy Chenで経験を積むことができ、その間に俊輔と結婚しました。
Q 順調にヨーロッパでキャリアアップしていたお二人がなぜ日本に活動の拠点を移したのですか?
A パリでは世界最大の生地の展示会が開かれるのですが、2016年に俊輔がこの展示会で日本の紬の展示を見て、途方もない時間と手数をかけて作られた生地に衝撃を受けたことがきっかけです(※ 以下は、詳しくはMIZENのHPをご覧ください)。また、もともとヨーロッパの高級ブランドでは、ブランドはトップであるデザイナーのものという考え方で、どれだけ素晴らしい生地を使っていてもその生地を生み出した職人はフォーカスされず、私たちにはその点に疑問もありました。
そこで、休みのたびに日本の色々な工房を訪ねたりしていましたが、ある日、俊輔が私に、「日本に帰ろう、今帰らないともう時間がない。」と言いました。時間がないというのは大島紬のことでした。職人の高齢化、後継者不足という課題を抱え、世界最高峰とも言われる大島紬の紬技術が失われてしまうのではないかとの強い危機感を抱いていたのです。私は日本語も話せないしパリでもう少し頑張りたい思いもあり迷いましたが、俊輔と一緒に何かを作り上げるのはきっと楽しいと思い、2018年末に二人で日本に来ました。日本語は、日本に行くことを決めてから2~3年くらいでなんとか覚えました。
Q 日本に来てからはどういう活動をしていたのですか?
A 最初は俊輔の実家をアトリエとして、二人で ARLNATAというブランドを立ち上げ、三大紬を素材としたファーストコレクションを発表しました。このファーストコレクションの頃から、長年に亘り地方創生に力を注ぎ「ふるさとチョイス」を立ち上げた須永珠代さんが、私たちの理念に深く共感してくださいました。
そして、2022年4月、須永さんのご提案をきっかけに、須永さんと一緒に東京でMIZENのプロジェクトを始めました。須永さんは、創業初期から常に私たちの活動を支え続け、一貫して伴走してくださっている、私たちにとって非常に大切で欠かすことのできない存在です。
Q 先ほど大島紬がなくなるという話がありましたが、そんなに危ない状況なのですか?
A そうですね、大島紬では、織り上げた際に正確な柄が自然に現れるよう、染色前に糸の配置を綿密に計算し、白く残す部分を一本一本括って染料が染み込まないようにします。この独特な絣の技法は世界的にも非常に希少で、これにより極めて緻密な絣柄が実現されます。こうして柄を糸に固定する重要な工程は「締めバタ」と呼ばれ、わずかなずれが生じるだけでも美しい柄は完成しません。
約7年前に私たちが創業したころ、当時協力していた工房によると、この工程を担える絣職人の平均年齢はおよそ70歳で、最も若い方でも40代を超えているとのことでした。長年の経験と高度な集中力を要する技術で、短期間で育成できるものではないため、その継承はいま危機に直面しているといえると思います。
Q そんなに減っているのですね!確かに最近は「嫁入り道具に着物を仕立てる」こともあまりしませんし、日本の伝統的技術はこのまま無くなってしまうのでしょうか?
A いいえ、世界的な視点で見ると、日本は今もなお手仕事の技術が非常に高いレベルで守られている国だと思います。海外のお客様からもそうした点を評価する声をよくいただきます。多くの国では手工芸の技術が次第に失われつつある一方で、日本では各地の工房が今も活動を続けています。将来的には日本が世界のラグジュアリーブランドを支える重要な技術的基盤になっていく可能性が高いと考えています。
Q モリーさんから見た日本の生地や技術の魅力はなんですか?
A 世界的に見ると、ファッションはもともと貴族や王族などのために生まれた文化であり、ヨーロッパでは華やかで装飾性が高くシルエットも外に広がる表現へと発展してきました。それに対して、日本の着物は限られた形式の中で布そのものの特性を極限まで引き出す文化です。なかでも「紬」は、糸の段階から身近にある素材を用い、繊細かつ高度に成熟した技術によって内に向かうような深く静かな日本独自の美意識を表現しています。同じ紬でも、台湾の先住民による紬織は、より野性があり直接的で生命力に満ちた表情を持っていて、それぞれ異なりながらも同じく魅力的な文化の姿を見せていると思います。
また、例えば青森の「こぎん刺し」は、麻の着物しか着ることを許されなかった農民が、防寒性や耐久性を高めるために麻布に刺し縫いを施したことに始まります。
このように、生活の必要性から生まれ、日々の知恵を背景に工芸を極限まで磨き上げてきた技術こそが、最も心を打つ魅力だと感じています。
本場大島紬KIMONOニットアシンメトリックプリーツスカート
Q 今のお仕事でやりがいを感じるのはどういうことですか?
A お客様に心からご満足いただき、私たちのものづくりへの想いや理念を感じ取って、理解し、サポートしていただけることが何よりのやりがいです。同時に、生地を作った職人の方々にも「自分も着たい」と思ってもらえる服をつくりたい。魅力のない、心を動かさないものづくりは、決してしたくありません。
Q モリーさんがこれからやりたいことを教えてください。
A 2つあります。1つは、わかりやすく例えると、MIZENを日本のエルメスにしたいですね。つまり、若者から老人まで浸透していて、結婚や卒業といった人生の節目で「じゃあMIZENに行こう」となるようなブランド、海外の人が「日本に来たからMIZENに行こう」というようなブランドにしたいです。
もう1つは、町作りです。実際に今、牛首紬とコラボしたお店が石川県白山市にあるのですが、
牛首紬×MIZEN白山店<加賀乃織座>
https://mizenproject.co.jp/hakusan-store/
その土地の生地で作った洋服はその土地のMIZENで売るという形で、産地それぞれに店があり、お客様が旅行を兼ねて各地のMIZENを訪ね、そこで名産品を買ったり産地の職人と交流できたりする、そういったお店を全国展開し、日本の次は台湾でも展開していきたいです。日本は全国どこに行っても名産品や地酒があって楽しめます、そういうところも独特だと思います。
Q 壮大な計画ですね!!
A はい、もしかすると、あと100年くらい必要かもしれませんね。……いえ、できることなら、少しでも早く実現できたら嬉しいです(笑)。
また、2026年3月を目標に、これまでとは異なる新たな挑戦に取り組もうとしています。日本国内だけでなく海外も含めて、より多くの方に MIZENの存在や価値を知っていただくために、これまでとは違ったかたちでの表現や発信の方法を模索し、準備を進めているところです。正直なところ、今は期待と緊張が入り混じった、少しそわそわした気持ちですね。
【お話を聞いて】
情熱をもって日本の伝統的技術の新しい展開に取り組み、新しいことにどんどん挑戦しているモリーさんに大変感銘を受けました。私達弁護士も、職人の技術が正当に評価されるような仕組み作りに役立ちたいと思いました。
モリーさんの今後益々のご活躍を応援しております。

